弟子の憂鬱

自分が誰かの弟子だとして、
弟子はいつか脱弟子しなければならない。
脱弟子あってこその弟子である。
ずっと弟子でいい、
心地いいから、といった時点で、
そいつは弟子ではない。
そこんところ考えると、
弟子であることはなかなか大変だ。

特に誰かの弟子になりたいと
考えたことがないし
誰の弟子でもないが、
弟子がときに患うであろう憂鬱を想うと、
俺もがんばらなきゃと思う。
「落ち着く」ことは、
えてして危険なことである。

天気:晴れ
BGM:BOOWY『モラル』