2010-03-02 弟子の憂鬱 自分が誰かの弟子だとして、 弟子はいつか脱弟子しなければならない。 脱弟子あってこその弟子である。 ずっと弟子でいい、 心地いいから、といった時点で、 そいつは弟子ではない。 そこんところ考えると、 弟子であることはなかなか大変だ。特に誰かの弟子になりたいと 考えたことがないし 誰の弟子でもないが、 弟子がときに患うであろう憂鬱を想うと、 俺もがんばらなきゃと思う。 「落ち着く」ことは、 えてして危険なことである。天気:晴れ BGM:BOOWY『モラル』