ピン芸人

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やっぱりさすがピン芸人、俺、
フォームもびしっとね、決まってますね、今日
渋谷のシブヤボウリングにて。

興じるわれわれの隣のレーン、お勤め帰りのおっさんが、ひとりあらわる
日課だろうか?
準備運動、肩をまわし入念に球選び。
スコア画面盗み見ると「ノザワ」という名前。
ノザワという男、ひとりガッツやひとりよしゃ、あるいはひとりいまいち、
繰り返す 
どれほどのもんかと目の脇でふたたびスコア画面を盗み見る
1ゲーム終わって152。
一服して、2ゲーム目。205。そして一服。
その時すでに3ゲーム目に突入していた俺の肩を
おもむろにぽんぽんと叩き、ひと言アドヴァイスをくれた。
「・・・お兄ちゃん、投げるときはピンを見るんじゃない、
あのちいさなちいさな、あのグリッドだけを見つめて、投げてみなお兄ちゃん。」
渋い声だった
一応そのとおりにしてみた 9ピンだった
一応「あっっ、なるほど、おお、ありがとうございます、なるほどへえー」と礼を。
軽く嬉しそうな笑みを口元に、そして満足そうに立ち上がり、
スーツの上着をはたき丁寧に着て、レーン番号の書かれた伝票を拾って、
静かに去っていった。ノザワ


天気:曇り
きむら本日のスコア:267(3ゲーム足してこれ)
きむら今日のオープンフレーム:23回(本番に弱い)


中沢新一さんの著書『アースダイバー』、
読み始めるとやはり、てゆうか想像を超えてめちゃめちゃ面白くて
ほとんどいちにちで読んじゃいました
大きな意味合いでの「恒常性」について徹底的に、
しかも愛着を持って、東京の地を舞台に、
語り尽くしています。ボーダレスな知識の泉だ。プロだ。
なにげなく、ハーバートの『スケール』をステレオで薄くかけながら読んでたら、
突然ぶつんと、両者が、両思想が、
共鳴した。気がした。

例えば、『アースダイバー』の一説を引用してみると。

「簡素なたたずまいをしていながら、細部に目を凝らしてみると、
そこにとてつもなく複雑な世界が隠されているというような都市を、
つくりだしてみることはできないだろうか。
現代の高度に管理された都市に、
怪物的なものを生息させることのできる方法はないものだろうか。」(P142)

上の文中の、「都市」を「音楽」に置き換えてみる。
マシュー・ハーバートのこのアルバムの音楽、
ぱっと聞きはとってもイーズィーに気持ちよく、
ともするとするっと耳から抜けてっちゃいそうな音楽だが、
背後には、有形無形の(可聴不可聴の)、
のたうつような、感情の重き、みたいなフクザツなやつが、
うごめいている。
まさに、上で引用したような意図における試みを、
マシューはこの『スケール』というアルバムで、
音楽的に、手段を尽くして、
やっとんのじゃないかと。
ふと勘づいたわけです。

この世界にはどっちもあると。陰陽明暗強弱生死・・・・・・・・。
それらは相互に作用しながら、ときにバランスを崩したときにも、
大きな意味合いでの「恒常性」によって、均衡を保ちつつ。
大事なことは、どちらにもバランスよく目を配ること。
理解に務めることなんじゃないっすかね。
中沢さんもマシューさんも、
そこらへんを作品で提示してはるような気がします。
中庸(ちゅうよう)、てことかな。さて、どうだろう。
寝よっと。


あ、そういえば今日、ダイコン山で眼鏡作っちゃいました。
レンズ込みで8000円くらいでした。
視力測ったら、裸眼で右目は0.05以下、左目は0.6、でした。乱視込み。