信仰ベースのずるさかげん

どうも信仰をベースとした前向きさに、
気色悪さを感じてしまうたちです。昔から。
信仰とひとくちに言ってもいろいろですけど、
ここで僕が指しているのは
「自分以外のなにものかに価値感の定規を委ねてしまう」
ような信仰のことです。

例えば神さまのようなもの、
いるのかいないのか、あるのかないのか、
それはまあ置いといて(置いときましょう)、
みずからの外に価値判断を委ねてしまうことは、
端的に言えばずるい。楽してる。

ときにひどく悶え悩み苦しみつつ、
自分で探し判断するのはとても面倒で、
そっから前向くこともなかなかすごく大変なことだけど、
それはにんげんとして
すごうく大事な事柄なんじゃなかろうか。
外の何かに委ねちまったら、
前がほんとに前なのかもそのうち、
判らなくなってしまいそうだ。


などと今日もうずらスタジオで孤独に練習しながら、
ふと考えたことをざらっと流し書きしときました。
さてどうだろうね。

うん、ひとつやっぱり言えるのは、
自身に対峙できるのは他ならぬ自身だけ、

ほんで美味しいのはビーボだけ!
ってことかな。そういうことかな。

ああ、さらに言えば、
ほんとうの芸術がなぜあんなえばーぐりーんに輝くのか、
それは、真っ向からがぷり四つで
「永遠の問い」に対峙できてるからでしょう。
それはもう、永続する戦いの図ですから。
かたちはどうあれ、
それはもう、問答無用で
にんげんの心を動かす力強いものなんだ。

そこらのせこい宗教なんかに惑う暇なんか、
本来誰にもないはずなんだよね。そう思う。
芸術、しなきゃだ。


天気:ぐずぐず晴れ